気がつけば半月も更新しておりませんでした・・・ 本日、24日愛する長男が9歳になりました☆ 8歳最後の、長男リョウガの作文をご披露☆ 子どもを寝かしつけながら、ふと子どもの頃を思い出しました。 そういえば、私たちは私の父と一緒に住んでいます。
3月4月って、本当に忙しいものだなぁ~~と、31才にして始めて実感です。
新学期に新しい保育園の入園式、3月末にまとめていただいた建設業の許可関連のお仕事、2月3月と継続してやっていた仕事・・・
三男は泣かずに慣れてくれるだろうと思っていた保育園への通園は、彼にとっては試練のようで、毎日数時間あずけたらお迎えです。
(洗濯物干して、さぁ~仕事!と思うと、すでにお迎えの時間です)
三回目の事なのですが、朝の別れ際に泣かれると親子共につらいです・・・が、もう少し慣れてくれれば、きっと楽しくお友達と遊べると思います。
頑張れ~~わが子よ!!
いとこから借りた衣装で☆
どうやら”スーツを着たおじさんがたばこを吸ってるところ”らしいです。
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ママと。
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9歳のお母ちゃん!
思い起こせば早9年前・・・
大学4年で妊娠、結婚した私は、大きなおなかで往復2時間の通学&卒論にちょっと自信をなくしていました。
(ちなみに卒論のタイトルは・・・「発話動詞に関する語彙理解」
パソコンじゃなくて”ワープロ”で作成しました。懐かしいっっ!)
それで、大学を辞めてしまおうかと、確か「進路指導」の先生と、卒論でお世話になっていた、現在大学院で教えていらっしゃる神本先生に相談しました。
先生方の暖かい励ましのお陰で、何とか卒業するまでの意欲を取り戻しました。
(神本先生ありがとうございます~っっ(*^_^*))
そして、9年前の卒業式の日に無事出産を迎え、病院のベッドの上で、学園大卒業式のテレビ中継を眺めていました。
(一度「はかま」を履いてみたかったなぁ~^^)
普通、卒業式の日付はあまり覚えていないと思うのですが、長男が生まれたお陰で、この日をよく覚えています。
今日は一日大雨だったので、何をしてあげようかなぁ~と思って(主人は仕事なので!)家に来ていた妹の子も一緒に、大人は私1人で子ども4人を引き連れて、車でショッピングセンターへ行って来ました。
(赤ちゃんをお持ちの方には想像がつくと思いますが、1人でたくさん子どもを連れて出かけるのって、大変気合がいるんです!)
いつもは、カードゲームを一回しかさせないのですが、今日は誕生日と言うことで3回!我が家にしては大奮発。
ケーキを忘れてしまいましたが、なかなか楽しい一日になったようで、満足してくれました☆
本当はお友達をよんで、誕生会をしてほしかったみたいですが、来年まで待ってておくれ!母ちゃんは、今年はこれでいっぱいいっぱいでした。
来週いっぱいで片付けなければならない建設業の新規許可を一件、更新を2件、国金融資の書類作成を一件、さぁ~今夜は気合を入れて仕事です。
9歳の寝顔を見たいので、ささっと頑張らねば。
※誤字脱字そのまま掲載。
(ママからの評価:的確に自分の状況を表現しています。球根が枯れようとするまで、植木鉢を私に用意してくれるよう要求しなかった、マイペースぶりに驚きました(笑))
「3年生を振り返って」
ほくは、生活は、あんまりできてなかったとおもいます。あいさつはきちんとできたとおもいます。きゅうしょくはのこさずたべました。そのなかでわ、にがてなりょうりもありました。だけどがんばってたべました。
べんきょうはぜんぜんできていませんでした。しゅくだいもぜんぜんできていませんでした。
3年生のあいだにかんじもおぼえられなかったしかけざんもおぼえられませんでした。
3年生でチューリップをそだてはじめました。でもぼくはみんながうえきばちをもってきてるのに、ぼくはもってきてなかったからキューコンを、づっとつくえの中にいれてたから、かれようかしていたとき、やっともってきた。からキューコンはかれませんでした だからよかったです。
4年生からの生活やべんきょうは、がんばりたいとおもいます。でもできるかどうかわかりません。でもぼくがしんぱいなのは けいさんとかんじです。でもできないとおもいます。
・・・リョウガよ。君は第二の「ヒロシ」になれるかもしれないぞ。
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父母の背中
私が小学校に上がる時から、母方のおばあちゃん、ひいおばあちゃんと同居していたんですが、
母はずっと昼間も仕事、夜も仕事でした。(夜は飲み屋さんですね)
父もほとんどずっと、長距離トラック運転手であまり帰ってこれない。
夜は母と眠った記憶がほとんどありません。
毎日毎日、母のパジャマをあっためて眠っていました。
学校へ行く時間でも、母は疲れ切ってぐっすりで寝起きも超悪いので、怖くて誰も起こせません(笑)
父は私たちが眠っている時間に出勤し、眠っている時間に帰ってくることが多かったので、両親とゆっくり話せる、両親と一緒に眠る・・・
ということがほとんどありませんでした。
(ばあちゃん、ひいばあちゃんがいたからよかったけど☆)
「えっ!あやちゃんち、共働きぃ~~??」
と、今ではごく普通のことで、ちょっといじめられたりもしました。たいしたことはないけど(*^_^*)
そんなこんなで、親子の唯一の会話は、「置き手紙」でした。
たわいもない、
「お父さんお帰りなさい。」
「気をつけて行ってきてね。」
「お母さんお帰りなさい。ねまき、あやがもってるけんね。」
とか。
私も、長男を連れて離婚してからしばらくは、夜も仕事をしていたので、子どもに寂しい思いをさせていましたが、長男からもらった置き手紙には、いつも励まされました。
(まだ字がかけない頃だったので解読は不能でしたが!)
現在は、「夜は子どもと一緒に眠れる」という、幸せな仕事をしているので、夜は一緒に布団に入って、子どもの寝顔を見れるという、めちゃくちゃすごい幸せを味わうことができています。
夜仕事をする時は、子どもを寝かしつけてからですし。
今思えば、どんなに仕事が忙しくて、会話ができない親子でも「意思の伝達」さえできていれば、子どもは分かってくれるもの。
なんだろうな・・・と思います。
今の私は・・・
あの頃の両親の頑張り(仕事量)には、全然まったく追いつけていない・・・まだまだ頭が上がりません。
母として、もっと頑張らねば!!!春が来ました☆
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玄関にバッタ~ンと寝転んで、イヤイヤをするジョウジです。
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カメラを向けて「笑って!」とリクエストしたら、こんな顔になりました☆父と主人と皿洗い
長距離トラック運転手の父は、たまに帰ってくるなり、自分のお弁当箱と洗ってない茶碗を洗います。
「ん?この角度、この並べ方・・・おとといと変わってないぞ。洗えよ~~、片付けろよ~~」
・・・と、食器洗い機の中をチェックします。
「いいえ。あっしの仕事は、ご飯を作ることと、洗濯物をすることです。茶碗洗いはヨシユキ(←主人)の仕事です。文句があるなら、ヨシユキにど~ぞ。^^」
「そんなこと言わんで洗ってやれよ~~」(と、洗いながら(笑)父。)
い~~~や!おとうさん、ここまで来るのに何年かかってると思ってるの!
数ある家事の中で、皿洗い1つやってもらうのに、5年よ!5年・・・
長かった・・・ここまでの道のり(遠い目・・)
しかも主人は、誰かが、たまった皿の山を見かねて洗ってあげると、
「うわぁ~ありがとう☆お陰さまで助かった!」
とは(これっぽっちも)思わずに、
「なぁんだ。洗えんじゃん。時間あるじゃん。」
↓↓
「オレがしなくてもいいんじゃん!!」
という思考回路の持ち主です。
使う皿がなくなった日にはさすがに私も片付けますが、普段はたまった皿の山を、こんな理由でグッとこらえて洗わずに放っておくのです。
(私が口を出すと怒るし!)
そんなこんなで、我が家の皿洗い係は、父と主人です。
二人で交互に洗っています。
主人は最近、
「おやっさん、今日は洗っとらっさん(洗っていない)かった。残念!」
とか言ってます(笑)
嫁姑ならず、婿舅(むこしゅうと?)の、どっちが見かねて洗うのか!?
という微妙な距離感が笑えます。
我が家の息子達はきっと、将来、
「皿は男が洗うもんだ」という常識を持ってお婿へ行くと思います。
さらなる有働家の常識を作るべく、「家事分担制度」を別の家事にまで浸透させて行きたいと思う今日この頃です。
次に狙うは「お風呂そうじ」だな。